俺と鬼と賽の河原と藍音さんィ。







 朝四時半。メイドの朝は早い。

 彼女はぱっちりと目を覚ます。

 そして、薬師の寝顔を見つめること数十秒。

 それが終われば、今度は薬師と布団の間に腕を入れ、抱きしめるように密着。

 そうして、薬師のはだけた胸元に顔をうずめて十分と少し。


「……充電完了です」


 十全な薬師分を補給し、メイドは立ち上がる。これで後三年は戦える。

 メイド服からメイド服に着替えて、料理。

 これらは急がねばならない。

 早く終わらせて、再び薬師の布団に潜り込まねばならないのだから。

 主人の目覚めに立ち会えるかどうかは、それらの速度に懸かっている。




















ただの路傍の花のように。




















「なあ、藍音。欲しいもんとかないか?」


 とある午後。ふと俺は藍音に聞いてみた。

 前さんに愛想尽かされる、なんて言われて考えてみたのだが、この間休暇も返上されちまった訳で。

 どうしたもんかと考えた結果がこれだ。藍音は正当な報酬と言うものを貰っていない。だから、何か欲しいものがあれば用意する位はと思ったのだが――、


「……貴方の愛が欲しいです」

「……それ以外で」


 愛っておいそれとやれるもんでもあるまいに。

 やるやらないは別として、だ。

 そりゃ、ずっと一緒に居る家族なのだ。恥ずかしいので明言しないが、無論想う所はある。

 確かに吝かじゃないが、しかし、だからと言ってほれくれてやるよとも行かないのが、男というもの。

 と、思って別のものを希望したのだが――、


「では、貴方が欲しいです」


 これだ。

 藍音はたまに寂しがり屋だ、というかやたらと俺にくっついてくる時がある。

 そして、言葉少なでよくわからない。

 だが、まあ要するに一日触れ合いたいってことでいいだろうか。


「わかった。じゃあ今日一日だけくれてやる」






















「晴れて薬師様を頂戴した訳ですが」

「あー、おう」

「どうしましょうか」

「考えてなかったんかい」

「……特に何も」


 居間で二人並びつつ、藍音は思考するかのように目を閉じた。


「……これでベッドイン、というのは不可能でしょうし」

「お前さん、布団中ならいつも入ってるだろうに」

「失言でした」


 なんだい、そのわかってないな、という目は。ちょっと心に痛いのでやめて欲しい。

 と、まあ、そんなこんなで。

 結局。


「今日一日、薬師様は私のやることを受け入れる、というのはどうでしょうか」


 と、藍音は言った。


「どういうことさね」

「せっかくなので、いつもと違うことをしたいと思いますが、その際に貴方に拒否権はない、……ということです」

「あ、なるほど。まー、それでいいならいいんじゃねーか?」


 うん、やっと話がまとまったか。

 しかし、俺に拒否権はない、とは一体どういうことをするのであろうか。


「では、昼食にしましょう。準備してくるので少々お待ちください」


 だが、頷く前に俺は考えるべきだったのだ。

 拒否権はない、ということは確実に拒否したくなるということを。


「それでは、全力でご奉仕させていただきますので、覚悟してください」

「……今日限りは、メイドじゃなくていいんだが」
















「では、薬師様、どうぞ」

「……そのだな」

「なんでしょう」

「食べにくいと思う訳だ、俺は」


 目の前には食い物。ちなみにミートソーススパゲティ。

 しかし、差し出されるのは、隣の藍音のフォークである。


「この間の……、お返しです」


 この間、ってあれか。

 弁当一緒に食ったあれか。だが、あんときゃ箸が一つしかなかったからであってだな。

 というか。


「嫌だったんか」

「……いえ。逆に」

「じゃあなんでこんなことになってるんだ?」

「……あの時純粋に、改めてしたいと思いました」


 じゃあ、皮肉でもなんでもなくってやつか。

 だが――、


「拒否権は?」

「ありません」


 やっぱりか。


「……そーかい」

「……本当に嫌なのでしたら、やめますが」

「いや、好きにしろよ」


 応と俺は肯いたのだ。男にだって二言はあってもいい派閥な俺だが、即座に翻すのはあまりにもあんまりだ。

 だから、吝かではない。


「薬師様、頬にミートソースがついております」


 そう言って、俺の頬をぬぐう藍音。


「……やっぱり手加減してくれ」





















「薬師様、マッサージをいたします」

「お? おお」

「薬師様、お飲物をお持ちしました」

「ありがとさん」

「薬師様、夕食です」

「あー」

「薬師様、口移しで――」

「おい」

「薬師様――」

















「ふう……、疲れ……、てはいないな」


 そうして、夜。風呂場で一人溜息を吐いてみたが、まったく疲れていない。

 それはもう、藍音の全力ご奉仕によって、いつもよりも調子がいいくらいだ。

 首もごきごき鳴りやしない。とりあえず、俺は浴槽を抜けて、椅子に腰かけた。

 ふと、そんな時だ。

 ――はっ、まさか。

 俺の脳裏に閃く何か。

 まさか――、この展開。

 藍音が――、


「薬師様、お背中流しに参りました」


 ――来る!!

 ……遅かった。

 もう逃げられない。拒否権はない。

 俺にできることは、後ろを振り向かないことだけだ。


「それでは、早速」


 藍音の白い手が、石鹸を掴む。

 そして。

 そして――、

 そして……、


「あのー……、なにやってるん?」


 何も起きていなかった。

 そして、どうなってるのかわからないので振り向く訳にも行かない俺は情けなく声を上げる。

 すると、返って来たのは平然とした藍音の声だった。


「少々お待ちください。今、自分の体に泡を付けて、それで擦るという――」

「ここはどこだ。一般家庭の浴室だ!!」

「何を自問自答していらっしゃるのですか」

「……とりあえず、一つだけ言わせてくれ」

「なんでしょう」



「――もう少し手加減してくれ」




















 風呂場でのことは――、あえて何も言うまい。

 寝よう。寝てしまおう。


「ところで藍音さんや」

「なんでしょう」


 目の前で横になってる藍音に俺は問う。


「これでよかったんかね?」


 正直、いつもよりきつい仕事をしてただけな気がするんだが。

 しかし、藍音は満足げに、ふっと笑った。ような気がした。


「問題ありません。極めて、良好です」

「そうかい」


 ならいい、と俺は目を閉じる。

 そして数十秒が経過して。

 ふと――、


「薬師様。最後にお願いを一つ、……いいでしょうか」

「聞けることならな」


 まだ、今日の契約は有効だ。

 そう思って、言葉を待つと、躊躇いがちに藍音は言った。


「……零時まででいいので、抱きしめて眠っても。よろしいでしょうか?」


 意外な問いに、俺は少し目を見開いて、そしてにやりと笑う。


「――俺にとって一日の始まりは朝六時から。そういうことで」
























 午前四時。

 メイドの朝は早い。

 彼女は、名残惜しそうに、抱きしめていた手を離す。

 さあ、仕事をしなければならない。

 主が目覚める前に朝の用意を終えなければ。

 だが――。


「これはメイドの職務外ですが――」


 今日限りは、メイドじゃなくていいと、主は言った。

 朝四時。まだ、今日。




「勤務時間外ですし、ね……」




 メイドは、愛する主にそっと口づけて、仕事へと戻ったのだった。



















されど満開。