俺と鬼と賽の河原と前さんトリコロォル。






 燃える様な夏。暑い現実から目をそむけるように、俺は石を積んでいる。

 さらさらと流れる川の音が涼しげであり、実際水場故に涼しくもある。

 しかしながら、昼となればやはり暑い。

 走り回ってないだけましだろうが、この猛暑にじりじりと石を積み続ける作業は精神衛生上とてもよろしくないのではないかと疑わざるを得ない。

 どうにかしてくれ地獄運営。そろそろ熱中症で倒れる奴が出てくるぞー。

 とか、思いつつも俺が黙々と石を積んでいると――。


「おう?」


 不意に俺の視界が暗くなった。いや、別に俺が貧血で視界が真っ暗で所持金半分になって病院からやり直しとかじゃなくてだな。

 視界に影が差したと思ったら。

 ――前さんが倒れてきていた。


「あー……、俺の石ー」


 人一人分という大質量の前には、俺の積んだ石ころなど、砂上の楼閣そのものであった。














憂鬱の青。














 不意に、前さんがぱちりと目を開ける。


「おはようさん」

「あれ……? 薬師? どうして……」


 ぼんやりと、まだ何とか涼しげな木陰から身を起こした前さんは不思議そうに俺を見た。


「熱中症かと思ったが貧血らしいや。ま、そういうことで」

「ん、そっか……」


 ふむ? 予想以上に前さんがぼんやりしておられる。

 本当に大丈夫だろうか。俺は今更になって心配になってきて、確認するように呟いた。


「あー、前さん前さん。大丈夫かね」

「んー……、大丈夫……」


 本当なのか?

 なんというかもう、見るからに大丈夫じゃなさげだ。


「前さん前さん、大丈夫なら手をこう、顔の横に当てて、にゃんと言ってみてくれ」

「……にゃん?」


 ……大丈夫じゃないな。


「大丈夫じゃないだろ、前さん」

「んー……、大丈夫大丈夫……」


 なんか既に目も虚ろというか、とても眠たそうで、今にも瞼が落ちかねない、といったところか。

 しかし、本人は大丈夫大丈夫と言う。

 ならば、今一度確認しよう。


「じゃあ、前さん。大丈夫なら俺の目を見て大好き、愛してると言ってくれ」


 前さんなら照れて金棒を振りまわしてくれるはず――。

 それが、見上げられながら告白された日には。


「薬師ぃ……、だいすき。あいしてる……」

「よし。病院に行こう」


















「で、俺の元に来た、と? 君は随分困った天狗であるな」


 と、まあ、やってきました下詰神聖店。

 必要な人の元に現れる、ある意味救急車呼ぶより便利な店である。客が店を選ぶ時代から、店が客を選ぶ時代に到達した、逆行したような未来的過ぎる様な店である。


「お前さんに頼んだ方が早いだろ。出すもん出しゃー、エリクシールでも売るんだろーが」

「まあ、その通りではあるが」


 言って、本日は白いTシャツにジーンズという私服姿の下詰は、店の勘定台の後ろに引っ込んだ。

 そして、ほどなくして帰って来たかと思ったら、懐中電灯のようなものを持ってきて、それの電源を入れる。

 すると、淡い緑の光が発され、前さんを包み込んだ。


「なんぞそれ」

「超マジカルスキャナー。当てるだけで生物の状態がわかる優れもの。今なら予備バッテリーもお付けして一万五千円」
「微妙な値段だな。しかも日本円か」

「一万五千円で診療ミスが無くなるなら安いものと思う訳だね」

「まー、確かにそうさな。便利だ」


 言うと同時、マジカルスキャナー氏が、ぴこんぴこんと音を立てた。


「さて、結果は概ね健康。ただし、睡眠不足。後、鉄分が不足気味。警告欄に貧血」

「あー、なるほど。じゃあ、このぼんやりっぷりは」

「睡眠不足で確定だな」

「ふーん? ところで、俺にあてたらどうなるんだ?」

「大天狗のスキャンか。そこには興味が存在するな」


 言って、下詰は俺に光を向けた。

 そして。


「驚くほど健康」


 まあ、調子悪くないしな。


「しかし」


 ん?


「健康的ED」

「ほっとけ」

「後、頭の中がある意味病気だそうだ」

「……そうか」

「まあ、あまり気にしないことだな」

「ところで、いくら払えばいい?」


 意外な出費にならないだろうか、と俺は聞いたが、下詰は笑って首を横に振った。


「いや、大天狗のスキャン結果だけでも十分であるよ」

「おお、そりゃ助かるぜ」

「では、お大事に、という奴だ」

「ああ、じゃあ行くか前さん」

「んー……」


 やっぱりぼんやりしている前さんの手を引いて、俺は店の外へ出た。


「またのお越しを」


 下詰の声を背に、通常空間に復帰する。

 前にはいつもの帰り道の光景が広がっていて、後ろには見も知らぬ民家しかない。

 そして、俺は今一度前さんを見る。


「あー、前さん、帰れるか?」


 既に仕事から帰る許可は貰っている。最近あまりの暑さに河原にいる人間が不調をよく訴えるため、現在においてはかなり帰りやすくなっていると言える。

 仮病の人間も増えるのではないかと思わなくもないが、暑さ寒さも彼岸まで。それまではこのままだろう。

 ちなみに、俺は仮病ではない。どうも鬼の方も忙しく、前さんの代わりを出すのが面倒だから、帰っちまえ帰っちまえ、という雰囲気だ。


「ん……、大丈夫」


 ここしばらく前さんそんなんしか言ってないぞ。

 しかしこれで問題ないようなら、前さんを送って終わるのだが――。


「……明らかに駄目だ」


 酔っ払いもかくや、というべき蛇行運転。


「……あれ……?」


 右へふらふら左へふらふらと、重心も定まっていない。

 いつもきびきびとした動作の前さんを見ている分違和感をぬぐえない訳だが――、とにもかくにも、このままにはしておけない。


「前さん前さん」

「んー……?」


 くるり、と七十五度位の角度に傾きながら、前さんが反転、こちらへふらふらと歩んでくる。

 そんな前さんに俺は一つ提案。


「うち来るか?」


 前さんは、勢い余ったようで、そのまま俺の胸元にとすん、と頭をぶつけて、一言。


「……うん」










 こうして、お手手つないで帰ることとなったわけである。


「とりあえず、うち帰って飯にするか。藍音にほうれん草っぽい料理を頼んどこう」

「ん……」

「その後は、風呂は……。あれだな、李知さんあたりに頼んどこう」

「うん……」

「ま、風呂にでも入ればすっきりするだろ」

「んー……」

「……本当に大丈夫か?」

「……うん」

「俺と一緒に風呂入るか?」

「……うん」

「俺と一緒に寝るか?」

「……うん」


 ――やっぱりだめだ。



















「……いきなりほうれん草など頼むので、缶詰を握力で開ける類のヒーローになりたいのかと」


 と、言いながらもちゃんと鉄分の多そうな食卓を作っている藍音はやはり流石である。

 帰ってから一時間くらいして、夕飯の時間がやって来た。

 にしても、よくよく考えれば非常に人数の多い食卓だなぁ。翁も飯は食うし。

 なんて考えつつも、いつものように長い卓に着く。


「そんじゃ、頂きますっと」


 各々、挨拶をして食事に入る。ほうれん草のソテーやら、中々にそれらしい料理がならんでいた。

 と、そこで。


「……いただきます……?」

「前さん、大丈夫か?」

「ん……」


 と言った時は大抵大丈夫じゃないんだ。

 ぽろりと、箸が落ちる。やっぱり駄目だ。


「おい、前さん」

「……ん」

「あーんしろあーん」

「あーん……」


 駄目だこの前さん。完全に素直だ。

 げんなりとしながら俺はその口にほうれん草を放り込む。

 すると、だ。

 リスのようにそれを咀嚼する前さんはいいとして。


「あ、それ私もやる。あーん」

「だまらっしゃい銀子」

「前は私にもよくやってくれたろう? ほら、薬師、あーん」

「昔の話だよ憐子さん」

「そ、そのだな……、少し、羨ましいとか、少しだなっ……」

「李知さんは落ち着け」

「お父様……。その……」

「言いたいことはわかる」

「にゃーん、にゃーん?」

「目が口ほどにものを言ってるがダメだ」

「薬師様、私も働きすぎでめまいがしてきました」

「お前さんがそれを言うと本当っぽくて心配だが、お前さん、こないだやってやったろうに」


 じとーっと、俺を見る女性陣。野郎どもは、完全に無視を決め込んでいる。恨むぞ。幽霊らしく呪い殺して……、もう死んでら。


「まあ、とりあえず。この人数を同時に相手できるわけないし俺が優しいのは病人にだけってことで」

「よし、水を被ってこよう」

「待て、憐子さん」


 今は食事中だ。

 そう、ここで言うべきことは一つ。


「食事は落ち着いてとるべきだっ」



















 まあ、それから、風呂に入る時に、


「ほい、じゃあ、任せた。溺れないよう見ててやってくれ」

「あれ……? 薬師、一緒に入んないの……?」

「……薬師様」

「これには事情があってだな」

「……少々貧血になってきたいと思います」

「待て待て待て待て。入らないから。ないから」


 なんて話もあったが。

 何はともあれ、既に夜も遅くなっている。


「前さん、帰れるか? 送ってくけど」


 結局、風呂に入っても前さんはぼんやりしている。


「ん……」

「駄目だな。泊まってくか?」

「うん……」

「決まりだ。ま、空いてる部屋好きに使ってくれ」

「……うん」


 そう伝え、俺は一度冷蔵庫の方へ向かう。

 寝る前に麦茶を一杯流し込み、自分の部屋へ。

 前さんはすでにいない。どっかの部屋で寝ることにしたのだろう。

 ……俺も寝よう。ほとんど仕事しなかった割にやけに疲れた。


「……しかし、睡眠不足ねえ? ま、最近暑くて寝るのもキツイか」


 呟いて、俺は階段を上り、自分の部屋の襖を開ける。

 閉める。

 開ける。

 閉める。


「あー……、あー?」


 何度やっても現実は変わらん。

 今一度、俺は襖を開けた。

 そこには――、前さんが座っている。


「前さん前さん、ここ、俺の部屋」


 そう、多分俺の部屋を空いてる部屋だと間違ったのだろう、と俺は考えた。

 が、しかし。


「……んー……? 一緒に……、ねないの?」

「……そんなことも言ったかも知れんが」


 ありゃあ冗談だ。

 言おうとする前に、前さんが落ちた。

 俺の布団の上ですーすーと寝息を立てている。


「……どーすっか」


 その状況にて俺は。


「……どうでもいいや」


 全てが面倒くさくなった。



























 まあ、朝起きたら金棒振りまわされたのは言うまでもない。

 それと、前さんの『薬師ぃ……、だいすき。あいしてる……』はきっちりボイスレコーダーにとってあるのだが、聞かせたら叩き折られそうなので、なにも言わないことにした。
























赤へ。