薬師大天狗奇譚
時は江戸。
如意ヶ岳の山に入って行く人影が一人。
「薬師殿、薬師殿ーっ!」
このご時世、非常に珍しい、女武芸者である。
まるで燃える様な緋色の髪を後頭部で縛り、身を袴に包み、腰には木刀。
そして、その身にまとう空気に合わせるよう、つり上がり気味の眼には強い闘志をともしている。
明らかに、武芸者であった。
「なんか用かい?」
そんな女武芸者が、森に向かって呼びかける時、意に、木々の間に響く声。
女武芸者の声に応えるようにふらりと現れたのは、妙な男が一人。
黒髪短髪の黒眼で、明らかに日本人であるに関わらず、その服装は妙。
よれたその黒い背広が時代にそぐわぬ違和感を醸し出している。
「ああ、薬師殿、よかった」
言いながら、女武芸者は胸を撫で下ろした。
そんな様を見て、男はふむ、と首をかしげる。
「下で何か事件でも?」
女武芸者は、途端に神妙な顔になり、肯いた。
「は、江戸で物の怪が出ました」
「妖怪?」
「妖怪です」
「如何様な?」
「聞けば女の妖怪で、夜な夜な人を食うのです」
その言葉に、はて、と男は疑問を示す。
「それは妖怪なのか? 本当に」
なるほど、夜な夜な人を食う女なら、ただの奇人変態気狂いで片づけることができる。
後は精々奉行にでも頼むのみだ。
しかし、そうではないと女は首を横に振る。
「首が伸びるそうです。目撃者によれば、長さ二十尺を越えるほど、と。驚きによる誇張が含まれていようと、これは……」
「なるほど、妖怪だな。ろくろ首か」
得心がいった、と男は肯く。
しかし、何故、と男は問うた。自分にその話を持ってくる意味がわからぬと。
「それで? 俺にどうしろと?」
「は、妖怪相手となると私と姫様には少々荷が重く、薬師殿に頼るしかないかと」
「ふむ? ろくろ首如きなら首を叩き落として体を隠せばあっさり死ぬぞ? 伸びてる首は無防備だから、一人が囮をやれば容易にな。まあ、それでもお前さん等位じゃないとちょいとキツイか」
そう言ってだらしなく薬師と呼ばれた男は笑い、しかし、女はそれではいけぬと首を横に振った。
「実は、その妖怪、人間が憑かれた者でないかと言われているのです。少々、殺すにも忍びない事情があるかと思いまして」
「ははぁ、なるほど。確かにそうだな。ろくろ首ってのは妖怪っていうよか特異体質だ。まあ、どこからが人間でどっからが妖怪かは知らんがね」
「棲み分けと言うのは肝心です。我々の様な妖怪が退治されるのはともかく、特異体質の人間が退治されるのは好ましくありません」
「ほっときゃいいのに」
薬師はぼそっと吐き捨てた。
だからこそ、と女は食い下がる。
「これは妖怪が負うべき責でしょう。人間ではできないのだから」
真っ直ぐと言う、いっそ青臭い彼女に、薬師は根負けしたようにわかったよと呟いた。
「どうにかしてろくろ首じゃなくすか、人を襲わんようにすればいいんだろう?」
ただし、と薬師は言葉を続ける。
「だが、殺した事実はどうにもならんぞ? 人食いが世間に受け入れられるとは思えんが」
「そこから先は知りませぬ。我々妖怪の責とは、人間が妖怪として殺されるのを防ぐまでです。人間の罪として裁かれるならそこからは人の責」
「まったく、面倒見がいいのだか悪いのだか。わからんね」
「ただ、全てを妖怪が憑いていたせいだ、と誤魔化して生きることは可能でしょう」
江戸は、懐が広い。と女は締めくくる。
薬師は、一度肯いた。
「分かった、見るだけ見てやろうじゃねーか。まあ、無理ならしゃあねえ。御同輩だったってことでぶっ殺す。いいな?」
「は、構いませぬ」
そうして、話がまとまった所で、
「無論、報酬は出るのよな?」
薬師は一度しまりなくにやりと笑った。
女は、溜息一つ、眉間に手を当てて言葉にする。
「ありますが、それは如何なものかと……」
「ふふん、山で沢山の天狗が腹を空かしてんのさ。仕方あるまい、天狗養うのも大天狗の仕事でね」
抑圧飛翔奇譚
今回の舞台となったのは江戸に在るとある商家。
そこで夜な夜なろくろ首が現れ、首を伸ばし人を喰らうと言う。
そこに現れたのは、謎の女武芸者の要請を受け降りて来た大天狗、如意ヶ嶽薬師坊。
「ふむ、立派な屋敷だな。どれ、まずは一度入って見るか」
その薬師は、一人その屋敷の扉をたたく。
帰って来たのは、女中と思わしき、中年の女の声だった。
「はい、どちらでしょう」
「美香の紹介で来た修験者の、薬師と言うんだが」
薬師は、女武芸者の紹介で来た妖怪退治を生業とする修験者として、この場にやってきている。
事実上、大半の普通の修験者は妖怪退治などとはとんと縁がないものだが、しかし、そんなものは町の人間には関係ない。
「ああ、美香先生の。ええ、お話聞いております。大層腕の立つそうで。主の元までお通ししますので、ついて来てください」
この通りである。関係のない人にとってみれば、僧も神主も修験者もさして変わりないのだ。
「ふむ、ああ、怪しいな。先日事件があったっつー庭かい? そっちの方からいかん気が漂ってきてる」
そして、このように、嘘でもそれらしいことを言えば、
「やはりわかるものなのですか? 流石、一流の修験者は違いますね」
相手はあっさりそれを信じ込む。
薬師の怪しげな異人の格好も、今では神秘性を高めるものとなっていた。
そうして、まんまと薬師は屋敷へと入り込み、屋敷の主人に会うことに成功する。
それは、恰幅の良い、いかにも富豪然とした中年だった。
「やや、貴方が薬師殿ですな? 嶋岡殿や、美香先生から話は伺ってますよ。私は浅間勘兵衛、ここの主人です」
「ああ、薬師だ。よろしく頼む。所で、美香とは如何様な関係だったんだ?」
「ええ、昔一度護衛をしてもらったことがありましてな。大層な腕前でした。そんな彼女の推す人間だ、ひとかどのお人なのでしょう」
あまりよろしく頼みたくない相手ではあるが、しかし、ここで引き返すわけにもいかぬ、と薬師は礼儀をもって返す。
すると、男は安心したようにしまりのない笑みを浮かべた。
「いやぁ、とても高名な修験者の方だそうで。これで私も一安心だ」
「あー……、先に本題に入ろう」
「そうですな、仕事熱心なようで何よりです」
世辞に返す気力もなければ、社交辞令を続ける余力もない薬師はあっさりと話題をすり替えたが、勘兵衛は気を悪くする様子もない。
「で、ここでろくろ首が出たって言う話だが――」
「あれは、ろくろ首と言うのですか」
「首が伸びて、人を追っかける様な妖怪さ」
その言葉に、勘兵衛はぶるりと身を震わせた。
「なんておぞましい……、退治していただけるのですね?」
至極真面目な顔で、勘兵衛は薬師に詰め寄る。
薬師は、不意に近づく、むさ苦しい顔に思わずのけぞった。
「ああ、まあ、退治はするが……、いくつか条件が付くな」
「どのような?」
「できるだけ、憑かれた依代から引きはがし滅殺する。依代の方は殺さぬこったな」
「なんと、物の怪憑きを生かしておけと言うのですか!?」
何とおぞましいんだ、と嫌悪感をあらわにする勘兵衛に、薬師はのうのうとのたまう。
「妖怪憑きだった者に恨まれるような殺し方をすると、妖怪憑きだった、から妖怪になってしまうことがあるのさ」
無論、嘘っぱちだ。死ぬ寸前に狂えるほどの恨みで妖怪にはなっても、一瞬で完全に殺してしまえば妖怪になる間もなく終わる。
しかし、門外漢には本当のことのように聞こえてくる。
「そ、それを貴方が守ってくれるのでしょう?」
自尊心をくすぐるように言ってきた勘兵衛の言葉に、なんのことはなく、白々しく首を横に振る薬師。
「残念だが、そこまで面倒見切れんよ。恨みが発動するのはもしかすると殺した次の日かもしれんし、半年後かもしれん。もしかすると二、三年後かもしれんし、十年後いきなりかもしれん」
「へへぇ……、そんなに、なので」
「ま、やった方は忘れてもやられた方は忘れねーってこった。そちらさんも、いつ現れるかいつ現れるか、なんて恐々と年月を過ごすのは嫌だろう?」
「そう……ですな」
まあ、実質、幽霊になって取り憑いたなんてこともあるからあながち間違いではない。
ともあれ、勘兵衛は信じた。これ以上は言うこともあるまい、と薬師は締めへと向かう。
「ま、完全に妖怪になってたら手遅れだ。殺して終わるよ。そんときはもう妖怪だから、化物にゃなんねーから安心してくれ」
「……そうですか、お願いします」
もういいだろう、と薬師は立ち上がった。
「じゃあ、現場に行ってみることとしよう。後で使用人の方に聞くことがあるかも知れんがその辺融通しといてもらえるかね?」
すると、それはもう飛び付くように喜んで勘兵衛は肯く。
「ええ、ええ。使用人の方には言っておきますので、一刻も早くよろしくお願いします」
「まあ、できるだけ早く終わらすよ」
そう言って、薬師は扉まで歩いていき、一度振り向き、
「それにしても、ずいぶん立派な屋敷だな」
「ええ、そうでしょう。元の持ち主が死んでしまいましてな。安く譲り受けたのです」
「ふーん……、なるほどな」
それきり、薬師が振り向くことはなかった。
「うっへ、血生臭え」
庭に出てみたものの、見ることはほとんどない。
検死して何かわかる位なら誰も苦労はしない。
「何か、わかりますか?」
心配げに聞いてくる女中の言葉はあえて無視し、薬師は別な質問をぶつける。
「こいつは屋敷内の人間の仕業ってことでいいのか?」
「はい。これで三件目ですから警備も強化しましたので。しかし、外から入ってくるなんてことはなかったと聞いております」
「ははぁ、なるほど。内部犯ねえ? ちなみに女ってことも確認されてんのか?」
「はい。背格好は確かに女でした」
「そこまでわかってんのに顔はわかんないのかい」
「ええ、夜の薄闇の中の上、髪の毛を振り乱し、そして、凄まじい形相ですから」
「なるほどな」
薬師は一つ肯いた。
どうやら、元の人相が分からない程に憤慨しているらしい。
どれ程恨まれているんだ被害者は、と薬師は呆れ顔になる。
「なあ、被害者の共通点はわかるか?」
そんな問いに、女中は首を横に振った。
「いえ、三人とも、うちの使用人で、男であることくらいしか……」
死んだのは、太助という番頭が庭で殺され、一人。
秋松という丁稚が厠付近で殺され、二人目。
音吉という手代がこれまた庭で殺され三人。
共通点は、ありそうでないらしい。
男だけなのは、どうやらこの三人が夜出歩いていたからのようであった。
この三人の内、丁稚の秋松はわかる通り、厠へ向かって襲撃され、秋松と音吉は、見回りに出ていたそうなのだ。
ちなみに、女性は基本的に夜は外に出るのを許されていないのだとか。
「どうにも、外を徘徊して、目についたものを殺してるようにしか見えんな」
はたして、次回の襲撃はいつだろうか、と薬師は考える。
これまでは概ね五日に一度くらいで現れているらしい。
(これは一度待って出てくるのを待つしかねーか……)
妖怪憑きを引きはがす、と言っても容易ではない。
むしろ、ろくろ首は妖怪と言うより特異体質。引きはがせるようなものでもなし。
要は、誰がろくろ首であるかを調べ、その原因を取り除く他にない。
「なあ、ここだけの話、こいつが怪しい、って奴とかはいないか?」
いかにも秘密、といった風情で薬師は女中に聞く。
すると、意外にも返事は返って来た。
「実は……、明代という若い女中がいるのですが……」
「その明代が?」
声をひそめて言う女中に、薬師は先を促し、
「実は、勘兵衛様を嫌っておりまして」
そんな答えが返ってくる。
「ふむ、嫌ってるってのは言葉どおりじゃなさそうだな」
どう考えてもその表現は、婉曲的だ。
直接的表現にするなら、憎む、恨む、の類だろう。
「実は、明代はこの家の前の持ち主の娘でして。前の持ち主もやはり商人だったのですが、禁制の品を取り扱っていたことがばれて、首を括ったのでございます。そして、残った屋敷と娘を引きとったのが今の旦那様なんです」
聞いていないことまでぺらぺらと喋る口だ、と薬師は苦笑した。
(娘、ねえ? なるほどなるほど)
「まったく、妹の方は本当にいい子なのに……」
「ん? 妹がいるのか?」
「ええ、双子だそうで」
「ふーん? 名前は?」
「透子です」
薬師は、口元に手を当て、考える素振りを見せると、すぐに口にした。
「わかった。これから色々聞いてみるとしよう。ありがとさん」
「お役に立てて幸いです、それでは仕事がありますので」
結局、最終的に薬師はもっとも怪しいとされる姉妹に会いに行くこととなる。
どの使用人も口をそろえて言うのだ。
『明代だろう、恩を仇で返すなど……』
と。
「で、あんたも私を疑ってるクチなの?」
明代は、非常に勝気な少女だった。
その吊り眼で思い切り薬師を睨んでくる。
「あ、明代ちゃん、駄目だよ修験者様に……」
そして、対象的に透子は大人しい。
明代の後ろに隠れ、そして、ふと薬師に目が合うと、すぐに伏せてしまう。
肩までの黒髪と、薬師の胸元までの身長。それは双方同じであるのにこうも違うのか、と薬師は感心した。
そして、感心しながらも、薬師はあっけらかんと言い放った。
「まあ、そりゃ、なあ? 話を聞いただけじゃ圧倒的に怪しいだろう」
歯に衣着せぬ物言いに、逆に明代は毒気を抜かれてしまう。
「あ、あんたねえ……」
「だが、それじゃ怪しいだけだろ。だから、ここではっきりさせようってんだ」
「じゃあ言うわよ? 私は物の怪なんかじゃないわ」
「そうか」
「そうかって……」
「それより、ちょっと聞かせてくれ」
「なによ」
「なんつったっけ、そだ、勘兵衛。恨んでんのかい?」
あまりにもあんまりな言葉に、明代は戸惑うように言葉にした。
「そ、そりゃあんな狸嫌いよ。憎くて仕方ないわ」
「なんで?」
「な、なんでって、私に色目使ってくるし……、体触ってくるし」
それだけではこのご時世、恨み憎むには弱いな、と思いながらも薬師はあえて納得したように肯いた。
「ふむ、わかった」
「それで? 私はあんたんなかで白、黒?」
物怖じしない明代の言葉に薬師は苦笑い一つし、あっさりと答える。
「白だな」
「なんでよ?」
「お前さんみてーのは妖怪になんかならねーし、なれねーよ」
それよりも、と薬師は続けた。
「お前さんは? 特に何も思ってないの?」
「え、えっ? 私?」
「そう、そこの透子さんだ」
「私は――」
透子は胸に手を当て、首を横に振る。
「――拾ってくださった恩がありますから」
「ふーん、優しいんだな」
それだけ言うと、薬師は部屋を後にしようとする。
「もう帰るの?」
背に掛けられた言葉に、薬師は片手を上げて答えた。
「あー。大体わかったからな」
「調べ物、ですか?」
とある料亭で、薬師は美香と落ち合うこととした。
「ああ、調べもんだ。意外と重要な。詳しくはそこん紙参照で」
薬師の言葉に応え、美香は机の上に置いてある紙片を拾い、広げる。
「これを、いつまでに?」
「次のろくろ首出現までに」
しれっと言ってのけた薬師に思わず美香は苦笑いする。
「無茶をおっしゃる……」
「いいや、別に遅くてもいいがな。その場合は一人ずつ人死にが出るだけだ」
「そこを言われると……、どうしようもないです。承知いたしました。行ってまいりましょう」
決心したように肯く美香に、頼む、と薬師は笑いかけた。
それにしても、と美香は薬師に尊敬の眼を向ける。
「やってきて一日にしてこれとは、流石ですね」
「あー……、まあ、一応な。犯人は分かった気がするし、首が伸びねーようにする手段も一応はわかった気がするな」
「そんなに!?」
驚きを示す美香に、薬師は肩を竦めて返答した。
「基本さえ分かってれば後は単純だ。精々、あってるかどうか確かめるためにこうやってお前さんに調べ物を頼むくらいか」
「と言うことは、これが終わり次第捕物に入れるので?」
と、美香は紙片をひらひらと振る。
薬師はおうと肯いた。
「そうさな」
そんなざっくばらんな答えに、美香は苦笑一つに頬を掻く。
「責任重大ですね……」
「その通り」
美香の苦笑に、溜息が増えた。
しかし、そんな物どこ吹く風。薬師はところで、と話を続ける。
「梓は元気か?」
「ええ姫様は、元気も元気、元気過ぎて引きこもって今も色々仕事しておられますよ」
「やっぱりなぁ……。人間やめても仕事三昧か。変わらんねぇ?」
「まあ、そうでしょう。あと、姫様は一応人間ですよ? 無論、常識的な意味での人間からは外れますけど」
「一応な。まあ、仙人を人間と呼ぶかどうかの違いだろ」
「その通りですが。ああ、そうだ。姫様がたまには会いに来いと言ってましたよ?」
「そっちから来い、引きこもりめ、っつっといてくれ」
「姫様もお忙しい人ですから」
「まーな、むしろ仕事辞めたら死ぬんじゃないか? マグロみてーに」
「……否定出来ません」
「あー、まあいいや。とりあえず、事件が終わったらまたってことで、俺は行くとするよ。きっちり頼むぜ?」
そう言って薬師は立ち上がる。
美香はしっかりと肯いた。
「はい、手遅れになる前にどうにかしましょう」
「ああ、じゃな」
言って、立ち去る薬師。
一人残された美香はぽつりと呟いた。
「あれ、ここのお代って私持ち?」
それから四日程経ち。
そんな日の夕方に。
「で、また来たわけ?」
「つか、泊まりだからな。あのおっさん、でけえ癖に肝っ玉ちっさくていかんね。ろくろ首くらい殴って仕留めろよ」
「さ、流石にそれは無理じゃないかな……」
なにはともなく、薬師は件の姉妹の元に来ていた。
場所は庭。
庭掃除をしている所に薬師が乱入してきたのだ。
「で、なんで私達の所に来るのよ」
「ふふん、それはな。他の奴らがやたらとおべっか使ってきたりして気持ち悪いからだ」
「なに威張ってんのよ。まあ、わからなくもないけど」
「うん……、流石に息が詰まるよね」
同意の言葉に、薬師はうんうんと頷く。
「つーこって、俺がここにいるのは当然の帰結だ。それにお前さんらもあれだろ?」
「なによ」
「今回の修験者様のお相手ってことで堂々と掃除がさぼれるだろ」
「そ、そりゃそうだけど……。あんたに言われるとなんかな」
「こいつはひでー」
言いながら、薬師は肩を竦めた。
そんな中、透子が不意に声を上げる。
「そういえば……、ろくろ首さん、来ないね? 明代ちゃん」
「そうだけど、それがどうかしたの?」
「ずっと来なかったら薬師さんはどうするのかなーって」
そんな質問に、薬師は笑って答えた。
「しばらく様子見て帰るさ。そしたらまあ、またちょくちょく様子見に来なきゃなんねー挙句に金ももらえねー。おまんまの食い上げだ」
「でも、だったらまた薬師さんに会えるね」
「おうおう、俺もここ五日で懐かれたもんだね」
「うん……、薬師さん、なんか落ち着く匂いがするから」
「ふーん?」
そんな話をしていると、ふと、薬師のいる庭に駆けこんでくる人影一つ。
「薬師殿っ」
その紅い髪は、明らかに。
「美香か」
堰切って通った美香を、薬師は冷静に呼ぶ。
「どした?」
美香はそのままの勢いに叫んだ。
「全てはっきりしました! このまま捕物に入れますっ」
「ほほう、よくやった。で、結果は?」
「ほとんど貴方の予想通りです」
なるほど、と薬師はにやりと笑った。
そうして、夜がやってくる。
「如何です?」
「多分来るぜ。ああ、人外の気がしてきた、これは間違いねーな」
「私にはそう言った者はよくわかりませんが、貴方が言うならそうなのでしょう」
屋根の上で、二人庭を眺めながら話をする。
そうして、ろくろ首の出現を確信した薬師は、虚空に向かって呼びかけた。
「あー、予想通りだ。総員、手はず通りに門まで来てくれたまえ。ちなみに、裏口から出るように。表からは安全を保証できんぞ」
風によって運ばれた声は屋敷の各員に届き、下が俄かに騒がしくなる。
「じゃ、降りるとするか。玄関でお待ちせんとな。ろくろ首を」
言って、薬師は美香を抱え上げた。
「あ、薬師殿っ」
抗議の声を無視し、一足飛びに家の前へと降り立つ。
そこには、既に幾らかの人間が集まっていた。
「おう、早いな明代」
「丁度外に出てたのよ。それより、透子を探してこないと。あの子どんくさいから――」
そう言って走り出そうとする明代の襟首をつかみ、薬師は制止した。
「おっと勘兵衛。そっちにいるので全員かい?」
掴みながら、やって来た一団を見て、薬師は問う。
「は、はい。……そう言えば、透子はまだでしたかな?」
「ちょっと離してよっ! 透子を迎えにいかないと――!」
暴れる明代に薬師は告げた。
「大丈夫だ、もうこっちに向かってきてるよ」
「え?」
「そもそも、変だと思わんか? ここに来てないのはお前さんの妹を覗いたら後は誰だ?」
「そ、それは……」
言い淀む明代。
薬師はあっさりと言い放った。
「ほら、来たぞ?」
がらり、と。
玄関の扉が開く。
薬師と美香を除いた全員が、肩を震わせた。
「怨めしや……、ああ、恨めしや……」
白い着物はまるで死に装束か。
薬師は手に持つ提灯に火を灯す。
まるで罪人に斧を振り下ろすかの如く、薬師は宣告する。
「――これではっきりしたな。ろくろ首は、そこな透子だ」
いかに怒りの形相とはいえ。
確かに透子のその人相を、提灯は確かに照らし出していた――!
「ああ、恨めしい……っ!」
「ど、どうして透子がっ……、あんなにやさしい子なのに――」
狼狽する明代に、薬師はろくろ首たる透子を見つめたまま、説明する。
「――そも、ろくろ首とは夢遊病に似ていてな? 抑圧から解放されたい、自由に宙を飛びまわりたいという願望から生まれるものである。そいつは無意識で、本人の意思とは関係ねーんだ。むしろ、優しい子、だからこそだろうよ」
瞬間、透子が錆びた歯車の様な声を上げた。
「ぎいいぃぃいいいいいいいぁあああああああッ!」
「ほら、来たぞ」
首が、伸びる。
その首は、唸りを上げて、勘兵衛へと迫っていた。
「ひっ……!」
尻もちをつく勘兵衛。
「勘兵衛様っ!」
遅れて、使用人の一人が、その長い首に鉈を振り上げた。
「やめろっ!!」
叫んだのは勘兵衛。
果たして、この状況で何故、と思う前に、鉈は振り下ろされていた。
飛び散る血。
「いやぁあああっ!」
叫ぶ明代。
しかし、この程度では終わらない。
「ぎいィイイいいいいぁああああ恨めしい! ウラメシイッ!!」
切れて落ちるはずの頭が、落ちない。
その頭は、首を失い、頭だけになりながら――、飛翔しているではないか!
騒然とする一同。
薬師だけが、冷静に呟いた。
「ほほう、飛頭蛮との混合系か。こりゃまた珍しい……」
縦横に飛びまわる頭が勘兵衛へと迫る。
そして、その恐ろしい口を大きく開け、鼻先一寸。
「――ねッ!」
ぎりぎりで薬師が頭を掴んで止めた。
荒い息で生きてることを確認する勘兵衛に、薬師は聞く。
「なあ、この娘がさ、こんなにお前に執着する理由ってなんだと思う?」
「そ、それは……」
「じゃあ、確認として聞いとこう。明代の両親が禁制の品取り扱ってて首を括り、残った家をお前が継いだって美談らしきものは、嘘だな?」
勘兵衛は、肯いた。
「美香に調べてもらったんだけどな? 禁制の品物を取り扱ってたのは、お前だな? 勘兵衛。そしてお前が二人の両親にその罪を着せた」
調べた所によると、元々明代たちの両親と勘兵衛は付き合いがあったらしい。
そこから罪を被せて、勘兵衛だけ助かったのだろう。
その罪を、勘兵衛は、
「……その通りでございます」
簡単に認めた。
「私がやったことです」
「まあ、そこな姉妹は気付いてたみたいだがね」
息を呑み事を見守る明代をちらとみて、薬師は呟き、勘兵衛は驚きながらも肯いた。
「そのようですな……」
「で、まあ。それでなんだがな。一つだけわからないことがあったんだ」
未だ、勘兵衛に食らいつかんとする透子を抑えながらなんの気負いもなく薬師は呟く。
「なんで二人を引きとった? そっからこんな風に露見しちまうかも知れなかったのに」
すると、勘兵衛は、あえていやらしい笑みを浮かべて見せた。
「それは大層美しいから――」
「嘘だな。手ぇ付けてねーのによく言うぜ。言わないとこの手滑らすぞ」
言いながら薬師は顎で自らの手を示す。
敵いませんな、と勘兵衛は呟いた。
「自分のしていたことが恐ろしくなったのですよ……。してやったり、なんて思っていたのにあの夫婦は分かっていながら罪を否定せず……、恐ろしいほどの人好しでした」
「なるほど、罪滅ぼし、ねえ?」
「はい。あれきり――、法度からは足を洗いました。そして今に至り、この無様です。手を、離して頂いても構わない所存」
言いきった勘兵衛は、震えていた。
「格好つけんなよ。俺のお仕事をなんだと思ってやがる」
「私が死ねば、一通り決着するのでは?」
薬師はふるふると首を横に振る。
「――この事件で死人をださねーことだよ」
くく、と喉を鳴らし、薬師は言いきった。
「つーこってまあ。手段は選ばんでいいな?」
その言葉に、意を決して勘兵衛は一度だけ肯いた。
じゃあ、と薬師は懐から、一本のマッチを取りだし、頭を押さえる腕を擦る。
火がついたマッチは、あり得ないほど轟々と燃え盛る。
「封印とかなんとか、んな繊細なもんできる気がしねぇのでな。――これで全てお仕舞いだ」
言いながら、燃え盛る一本の棒を、薬師は自然体で投げ捨てた。
そうして、屋敷に引火する。
「圧迫の顕れがろくろ首となるなら、その圧迫の象徴を消滅させればいい。なんのことはない、それだけだ」
薬師が事前に屋敷内の空気を調節していたのだろう、屋敷はあっさりと燃え上がり、完全に炎に包まれていた。
「あ……、ああ……」
ほろり、ほろりと。
透子が涙を流す。その顔に既に憤怒は宿っていない。
「すまない、すまなかった……」
ただ、勘兵衛は目の前の生首に謝り続ける。
ひたすらに、謝り続けた。
そんな勘兵衛に、薬師は語りかけた。
「言葉通り、透子自体は恨んじゃいなかったろうさ。だから、謝ってやるなよ。ただ、お前さんは恨まれてやるべきだったのかも知れんがね」
もしも、透子が勘兵衛を恨んでいたなら、こんなことにはならなかったろう。
そういった事を吐き出せるような人間は、決して妖怪になったりしない。
「お前さんは、悪い奴とするには弱すぎた。それがいけなかったんだろうよ。透子だって恨んじゃいないって言ってたし、そりゃ嘘じゃないだろうが、そう簡単に割り切れるもんでもないってこった」
人の認識下にある意識は、全体で言えば氷山の一角でしかないと言われている。
自分の意識で決着を付けたつもりでも、それが抑圧となりそうしてこの事件が起こった訳だ。
勘兵衛は、地面に手を突き、薬師に問う。
「あれ以来……、真面目にやって来たつもりでしたがこの様です。一度悪党になった者は、もう戻れないんでしょうか……?」
ふん、と薬師はまるで溜息でも吐くように言葉にした。
「しらねーよ。お前さんだって、強風が吹いてるのは覚悟してたはずだろうに。それでおこがましくも立ち上がろうなんざ思ったんだ。一度転んだくらいで諦めんなら世話ねーや」
悪党である、というのは楽な道だ。こうして罪から逃れることができるし、透子にも恨まれ、こうした事件が起こることもなかった。
しかし、別に透子に恨まれずとも事件を回避する手立てもあったし、こうして被害を出しながらも、事件は収束へ向かっている。
「そうさな、きっちりとお前さんが透子に話して上手く折り合いを付ければそれはそれで事件は回避できたろうな。ただ、そう、悪党になる方がきっと数倍簡単だ。善悪ってのはそういうもんだよ」
善悪なんてあっさり変えられる。しかし、難しいのは楽を知った状態で苦へと戻ることだ。
薬師の言葉を聞いて、勘兵衛はしばし黙りこくっていた。
「で、どうするんだい? あんたは」
「……まだ、もう少しだけ。もう少しだけ夢を見続けましょう」
「そうかい。ま、これにて一件落着か」
ただ、屋敷だけが弾ける様な音を立てながら、燃えていた。
宵闇の中を、薬師と美香は二人歩いている。
「見事なお手前でした」
透子は、屋敷が崩れた後、ぷっつりと糸が切れた人形のように動かなくなり、首も元に戻っていた。
これでもう問題ないだろう、と薬師は屋敷を後にしたのだ。
「大したこたやってねーよ。屋敷燃やしただけだしな、実際」
「まったく、変な所で謙遜なさらずに……。ただ……」
珍しく言葉を途切れさせた美香に、薬師は不思議そうに聞き返す。
「ただ?」
「今回の件、こんな不幸になる前にどうにかならなかったものかと」
確かに、今回の件は、少し歯車が狂えば、別の方向に向かっていただろう。
要は、勘兵衛がきっちりと透子と話を付ければ良かった。それは勘兵衛の罪だ。
ただ、そんなことは関係なしに薬師は呟いた。
「んなの簡単さね」
「何かあるのですか?」
気になって、薬師の方を向いた美香に対し、薬師は立ち止まって、一度にやりと笑った。
いつもの、しまりのない笑みだ。
「――げに恐ろしきは女の恨み。端から恨みなんぞかわねーのが一番ってこった」
そんな言葉に美香は溜息を一つ返したのだった。
「貴方がそれを言いますか……」
「ん?」
「知らぬは本人ばかりなり、ということですよ。恨みは知らずに受けるか、買った方はえてして忘れているものでしょう」
「まあ、それもそうさな。美香も中々深いことを言う」
「行くわよ、透子」
「あっ、待ってよ明代ちゃん」
青空の元を歩く、少女が二人。
身寄りもないが、その顔は晴れ晴れとしていた。
彼女等には何もないが、しかし。
上を向けば青空しかない。
それ故に、彼女等を圧迫する天井もまた――、存在しなかった。
後書。
なんとなく書いてみた。
そしてこんなノリでシリーズ化してみようかと思う。