俺と鬼と賽の河原と。
玲衣子は怪しく笑った。
「えっちなことと、卑猥なこと、どっちがいいですか?」
「一択ですかい」
「はい、ああ、一夜限りのお遊びですから。気兼ねなくどうぞ?」
「ううむ、じゃあ……」
「保留じゃいかんかね?」
IFの河原。
〜I Love You. You Love Me?〜
「保留、ですか?」
「そう、そうだ。英語で言うならイエスだ」
「何故です?」
「いきなり過ぎて正直いたせる自信がない」
なんで、俺はこんなことを口にしたのか。
そう、それは、そのまま行為に及べる自信はなかったが、だがしかし、しかし――。
断るのももったいないと思ったのだ――。
「なら、いつ抱いていただけるのです?」
「……さあ。いつの日か、それらしい空気になったら、かね」
優柔不断、という訳でもない。
ただ、なんとなく、何かが足りない気がした。
抱く抱かない以前に、何かが足りない気がするのだ。
「それは、ずるいですわね」
「まあ、また来るさ」
その日は、そう言って、俺は家に帰ることにした。
それからというものの、俺はよく玲衣子の家へと行く。
「あら、いらっしゃいませ」
「今度は裸エプロンか」
半ば呆れ気味に俺は呟いた。
「お気に召しませんか?」
笑顔で、玲衣子はそう問うてくるが、とても反応に困る。
「正直困る」
そのまま口に出てしまったが、困るのは本当だ。
仕方がなかろう。
「もう少し違う反応をしてくれてもいいと思うのですけれど」
そう、最近はずっとこれだ。
あの手この手で俺に対し、あれな格好で玲衣子は迫ってくるのだが。
そも、前提条件が間違っている。
性欲がない、もとい極めて希薄なのだから、そういう格好をしても無駄であるのだ。
ああ、そうだ。
あれからひと月たつが、未だに彼女に手は出していない。
やっぱり、何かが足りないのだ。
「そんな反応、俺以外に期待してくれ」
だが、何が足りないのかわからない。
自分のことほど、よくわからない。
そもそも、何故勿体ないなどと思うのだろうか。
別に欲求不満な訳でもないのに、そう思うのは、何故なのか。
「それで? 今日も駄目ですの?」
「ああ、また今度な」
わからない。
そも、手を出したからってどうという訳でもない。
残りは、全て終わった後の話になるだろう。
でも、やはり、何かが足りない。
「そんなに、私に魅力はありませんか?」
悲しげに彼女は尋ねた。
違う。少なくとも、そんな顔をさせたい訳じゃないんだ。
「それこそ俺に聞かんでくれ。まあ、客観的に見れば十分魅力的だ」
「貴方の主観じゃないと意味がありませんの……」
呟いた言葉の、意味をはかりかねて俺は首を傾げた。
「女性としては、十分だと思うけどな。ただ、俺に性的な価値を問われてもまったくわからん」
すると、玲衣子は微笑んで見せる。
「ふふ、ありがとうございます」
どういたしまして、と適当に返す俺。
玲衣子は、今度はこう尋ねた。
「じゃあ、次はいつ来てくださるの?」
「近いうちに」
何が足りないのか知りたくて、俺はまたここに来る。
何度でも、来るだろう。
「いらっしゃいませ」
「よぉ」
相も変わらず、俺は彼女の家へと出向き、そしてメイド服を拝むこととなった。
「いえ、おかえりなさいませ、ご主人様、が正しいですわね」
「いや、まあ、どっちでもいいけどな」
未だに、足りないものはわかっていない。
でも、まあ、ここに居ると落ち着くのだ。
「それで、今日は?」
「無理だな」
未だにわかっていないのだから、期待されても困る。
そもそも彼女は、なんで俺にそれを期待するのだろうか。
考えながら、玄関から廊下を通りぬけ、居間で胡坐をかいて落ち着いた。
「しかし、お前さんは、なんでそんなに俺に拘るのかね」
わからないから、聞いてしまう。
我ながら単純な有り様だ。
しかし、俺への反応は、実に予想外のものだった。
ぽたり、と一粒だけ、雫が落ちた。
「な、いや。すまん」
思わず俺は謝る。
何故か、心臓の辺りが疼いた気がした。
玲衣子は、無理をして笑う。
「いえ、ただ、こうもわかっていただけないものだと思うと……」
その顔は、好きじゃない。
でも、やはり何が何だかわからない。
「だから、教えてくれ。それこそ、一から十まで教えてくれ」
何を開き直っていると言われても、この俺には判らないのだ。
それこそ、一から十まで。
そんな俺に、彼女は苦笑い。
そして、その笑みを妖しげなものに変えて――。
「――女が男に抱かれたい理由なんて、一つでしょう?」
ああ、またぼかされる。
それで解らないから聞いているのに。
そもそも夜伽の類は、好き合っている恋人や夫婦がするものだ。
俺と彼女は、恋人でも夫婦でもない。
と、すれば、そこに仕事や金が挟まれるが、俺と彼女の間に損得がある訳でもない。
「……わからん」
やっぱりか、というように、玲衣子は微笑みながら溜息を吐いた。
「そもそも、俺達ってなんなんだ? 恋人でも夫婦でもないのに抱く抱かないの展開に発展しているってのは――、あ」
ふと、自分で言った言葉が胸に突き刺さる。
恋人でも夫婦でもない。
何が足りないのか、わかった気がした。
「どうしました?」
俺は、そのまま立ち上がる。
「一旦帰るわ」
玲衣子は問うた。
「次はいつ?」
俺は笑って告げる。
「――今宵にでも」
損得でもなく、そしてただの性欲の解消でもなく。
仕事も金も挟む余地がないのなら。
――それは多分、愛というのだろう。
「……ばか」
玲衣子は一人、呟いた。
ここに居ないわからず屋に。
怒ったように、照れたように、不安げに、慈しむように、愛するように。
「本当に……、馬鹿なひと――」
そうして夜は訪れる。
「あら……」
「おや、意外そうな顔だ」
「ふふ、本当に来るとは思いませんでしたので」
久々に、玲衣子の驚いた顔が見れた。
そんな彼女に、俺は提案を一つ。
「縁側に行かんかね。今日はいい月が見れるぞ?」
その言葉に、楽しげに玲衣子は肯いた。
玲衣子は今回は予想外だったのか、普通の着物で俺の隣に座って。
俺は、いつものよれたスーツで彼女の隣に立って。
俺はふと、呟いた。
「贅沢な、景色だな」
今宵は満月。
雪はしんしんと降り積もり。
「そうですか?」
そう問うた玲衣子に、俺は肯いた。
「雪月花がそろってる」
俺はそう言って、彼女の顔を見る。
彼女は不思議そうに俺を見て、俺と玲衣子は見つめ合う状態になった。
「雪と、月はわかりますわ。でも、花は?」
俺は、そんな彼女を見ながら、笑って言う。
「俺の隣に、月下美人がいるからな」
空に満月、宙に雪舞い、地に月下美人の白い花が咲き誇る。
これを絶景と言わずになんと言おうか。
「……お上手ですね、ふふ」
玲衣子は、少し、驚いたように口をまるくしていたが、すぐに照れたように笑った。
それきり、俺と玲衣子はしばらく黙ったままになる。
見つめ合った視線も戻し、ただ、外を見つめた。
そして、時間の流れも曖昧になって、ふと、玲衣子がこの寒い空気へ溶かすように問うた。
「貴方は……、私をどう思っていますか?」
俺は、ぽつりと、煙でも吐くように呟く。
「今宵は、月が綺麗だな」
悲しげに、玲衣子は返した。
「……誤魔化さないでくださいませ」
別に、誤魔化したつもりはない。
「知ってるか?」
多少婉曲表現ではあったが。
だって、なあ?
「月が綺麗ですね、ってのは、私は貴方を愛しています、っていう意味らしいぞ?」
I Love You.なんて、こっ恥ずかしくて言えるわけがない。
「だから、もう一回言うぞ?」
ああ、でも既にもう恥ずかしすぎるな。
そんな風に考えながら、俺は今一度呟いた。
「――お前さんといると、月が綺麗だ」
反応はない。
彼女の顔を見ていないから尚更だ。
そして、見れるはずもない。
ただ、憶測だが、彼女は驚いた顔を晒しているのだろう。
そして、ゆっくりと時間を掛けてから、反応は返って来た。
「じゃあ、私のためなら、死んでくれますか?」
貴方のためなら死ねる。くたばってしまえ、が名前の由来の作家の言の葉だから、面白い。
だが、俺はとうに死んでる訳で。
「もう死んでるよ」
そして、死んでるからこそ。
「だから、俺はお前さんに会うために死んだのだと思うこととしよう」
足りないものはよくわかった。多分順序だ。
恋人でも夫婦でもないから違和感を感じるのだ。
だから、これから夫婦でも恋人でもなればいい。
本当に玲衣子が俺を受け入れる保証もないが、それでもやはり、踏み込んでみよう。
ただ、やっぱりすぐに答えは返ってこない。
ただ、ゆっくりと時間が過ぎて、その時間の中にぼかして彼女は俺に聞いた。
「……じゃあ、貴方の言葉でもう一度言ってくれませんか?」
いい加減恥ずかしいんだが。
そう思っても、口に出すのはやめた。ここまで恥ずかしいなら、もう突き抜けてみよう。
I Love You.あえてもう一回訳すなら――、
「――お前さんとの春が待ち遠しい……、だな」
俺は、不敵に笑って、そっちは? と問い返す。
彼女は、はらりと、涙を流しながら笑って、言った。
「――春風を、お待ちしております――」
――I Love You.You Love Me?
――でもやっぱり日本語で。
――
まだ前半から中盤あたり。
まだもう少し続きます。
なんというか、ただの予告ですね。完成したらホームページでの公開になると思います。
と、いうか途中だから別におおっぴらにしてるわけでもないのにこれを読んでるあなたはラッキーボーイ。
3/8
中盤追加。薬師、愛に目覚める。
次の更新で完成、お披露目と相成ります。
予定では明後日の十時ですね。
3/10完成。
ってことで、玲衣子ルートIFでした。
ちなみに、元ネタみたいなのとして、結構有名なんじゃないかと思いますが、夏目漱石と二葉亭四迷のI love youがあります。
夏目漱石は英語の講師をしている時に、その時代私は『貴方を愛しています』、というようなストレート表現が褒められる訳で無かった時代のため、「月が綺麗ですね」、と訳しなさい、と言ったそうです。
二葉亭四迷はロシア語の「愛しています」を、を「死んでもいい」と訳したそうな。
とても詩的だと思います。
ちなみに、私の地域ではいまだもっさり雪が積もっていたりするので、季節感がおかしいぜ、とかはスルーしてください。